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​プロフィール

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□石垣​ 京子(いしがき きょうこ)
 鍼灸師
​ あん摩マッサージ指圧師

□略歴
大学卒業後、大学助手、国際協力NGO勤務を経て2007年東洋鍼灸専門学校入学。
2010年3月、はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得後、都内鍼灸院に勤務(施術人数はのべ3500人以上)。2015年より『はり・きゅう よもぎ庵』として往診と自宅の一室を使い施術を開始。
1976年4月6日生まれ、5歳よりさいたま市在住。B型。夫と小学生の息子、保育園に通う娘との4人暮らし。

​□タイが大好き!そして国際協力の道へ

 中学生の頃から英語が好きで、高校は英語コースに進学しました。その頃から漠然と、将来は海外で働いてみたいなぁと考えていました。

 大学一年生の2月、初めてタイを旅行しました。活気があって、ご飯も美味しくて、何よりタイの人は自分と顔立ちがとっても似ている!それだけでタイが大好きになりました。それからは勉強の傍らアルバイトを掛け持ち。お金を貯めては、リュックサックを担いで東南アジア方面に旅にでる、そんなことをしていました。

 

 旅自体はいつもとても刺激的でとても楽しかったのですが、ふと「私はこの国で何をしているのか」と考えさせられるようになりました。国や街が開発・発展していく一方で、旅行者が集まる繁華街には必ず物乞いの人。高級ホテルが立ち並ぶ通りの裏は、大きなスラム街。苦しんでいる人がいる、辛い状況にある人がいる、そんな国で自分はただ楽しく旅行をしていていいのだろうか?何かがおかしい。自分は何ができるのか、何をすべきか。その気持ちはどんどん大きくなっていきました。

 大学卒業後は大学で助手として働きながら、当時タイで活動を行なっていたNGO(特活)日本国際ボランティアセンターに通い始めます。そしてタイの活動地を訪問する一週間のスタディツアーに参加したり、スタッフの方から直接話を聞いたりする中で、自分もNGOで働きたいという気持ちが強くなり仕事を辞めることを決断。2002年26歳の時に「タイの農村で学ぶインターンシッププログラム」の6期生として約1年間タイで生活することになりました。

 この時の村での経験が、後に私が鍼灸師を目指す大きなきっかけになったのですが、当時はまさか自分がその後鍼灸師になるとは夢にも思っていませんでした。

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​(チベット自治区・ラサ)

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​(カンボジア・シュムリアプ)

​□「自然と共に生きる」ということ

 バンコク郊外の研修所での農業研修を終えてから、タイ北部チェンマイ県の山間部の村で有機農業を行なっているおばさんの家にお世話になることになり、私の「村の娘」生活が始まりました。

 村での生活は人間も自然の中の一部であることを心から実感させられるものでした。朝は陽の光とともに起き、暗くなったら寝る。農家なので野菜は畑にあるし、家の前の川でエビや小魚、カエルなんかを捕まえたり。鶏もさばくし、お祭りがあれば豚や牛もさばきます。家だって皆で作ってしまうし、機織の技術もまだ残っている。そして私が「ちょっと具合が悪い」なんていうと、その辺に生えている(私には)雑草にしか見えない薬草を煎じてお茶にしてくれる。衣食住医の「生きていくために必要な力・智慧」が村の人たちには当たり前のようにありました。いかに自分が無力なのかを思い知らされると同時に、私もこの人たちのような生きるために必要な力を身に付けたいと強く思うようになりました。

 帰国後は縁あって日本国際ボランティアセンターのタイ事業担当スタッフとなり、タイ東北部コンケン県の事務所にも赴任し、ここでもまた農村の人たちと一緒に活動しました。また仕事の合間を縫って夜行バスでバンコクまで通い、タイ古式マッサージの勉強をし資格を取得しました。そして担当していたプロジェクトの終了に伴い、自分はこの先どう生きていきたいのかを考えた結果、生きるために必要な「衣食住医」の「医」の勉強、人も自然の一部であるとする東洋医学の勉強をしようと思い、東洋医学・鍼灸の道に進むことを決めました。このタイの村での生活がなかったら、鍼灸師にはなっていなかったでしょう。

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​(お世話になった村の家)

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​(お別れパーティの時の一枚)

​□鍼灸師として

 2007年4月、31歳で東洋鍼灸専門学校に入学しました。朝から夕方まで学校で勉強をして、大急ぎでアルバイト先の鍼灸院へ駆け込み、家に帰るのは深夜23時を過ぎた頃。だいぶ久しぶりの教室での勉強は本当に大変でしたが、クラスメイトと共に皆で切磋琢磨しながら充実した3年間を過ごすことができました。東洋医学は想像以上に奥が深くて面白い。そして鍼灸の技術の習得には終わりはない。人生で一番勉強したのはこの3年間でした。​

 国家試験に合格し晴れて鍼灸師になってからは、都内の鍼灸院にて勤務を始めました。その鍼灸院には日本全国、また海外からも突発性難聴で悩む方が来院されており、耳の疾患に対する鍼灸施術について多くを学びました。日々多くの患者様と向き合うことで、施術だけではなくその方の抱える不安や悩みに寄り添うことの大切さにも気づかされました。また治療院勤務の傍ら鍼灸学校時代の恩師の治療院にも通い、研修生として勉強を続けました。​​

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​□不妊治療を経て母に

 35歳を過ぎてから遅めの妊活を開始するも、全く妊娠する気配すらありませんでした。そのため治療院勤務の合間を縫って不妊治療をスタート。病院に通い始めて半年と少し経った頃に妊娠しましたが、残念ながら流産してしまいました。このことをきっかけに自分の身体と向き合うことを決め、治療院を退職。恩師の治療院で研修を続けながら、今まであまりにも忙し過ぎてないがしろになっていた自分の身体を整えること、そして今一度生活を見直すことを優先させます。その結果、流産から約4ヶ月後、再び妊娠し37歳で無事息子を出産することができました。その後また2回の流産を経験しましたが、42歳の時に第二子となる娘を出産をしました。

 妊娠するために鍼灸の力を借りましたし、出産まで続いたつわりにも鍼灸で対応し、逆子になった時も逆子の灸をしてくるっと回ってもらいました。妊活から出産、そして産後まで、鍼灸でできることはたくさんある!と身をもって実感した時期です。

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​(2018年長女出産当日)

​(2013年長男出産)

​□心も身体も健康に

 自分自身が二人の子供の母親になって強く思ったことは、「家族、子供のためにも心も身体も健康でありたい」ということ。私は高齢出産だったので、特にそう感じたのかもしれません。

 家庭では「ママが笑顔でいること」が大切だとよく言われます。でも仕事があったり家事や子育てがあったりする中でヘトヘトになってしまっていては、笑顔ではいられません。ちょっと体調が悪くたってゆっくり休んだりもなかなかできませんよね。いつだって自分の事は後回しにしていては、いつか身体が悲鳴をあげてしまいます。そうなる前に、是非、ご自身の身体をケアしてあげて欲しいのです。疲れたなと思ったらきっとそれは身体からの「ちょっと頑張りすぎだよ」というメッセージです。

 「女性のための小さな治療室 はり・きゅう よもぎ庵」は、自分自身の妊娠/出産までの辛かった経験や、妊娠中や産後の様々な体調不良、毎日の家事や育児や仕事で心身ともにしんどいと感じた経験を元に、多くの人にもっと自分自身の身体と向き合って欲しい、いたわって欲しいという思いで始めました。​

 お越しいただいた方が施術の間だけでも心からホッとできるよう、そして施術の後はもっと笑顔で過ごせるよう、鍼灸とマッサージで健康づくりのサポートをしていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。​

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