こんにちは。
はり・きゅう よもぎ庵です。
どうして鍼灸師になったかシリーズ②です。
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村には当然日本人は私一人。
研修で習ったタイ語は標準語、でも村の人は「カムムアン」と呼ばれる北タイの方言を話すため、慣れるまでは何を言っているのか分からず苦労しました(別の言語と言っていいぐらい違うんです!)。
村での生活が長くなるにつれ、自分の価値観がいかに偏ったものだったかと思うようになりました。
日本での暮らしはお金があれば何でも手に入れることができました。
でもタイの山奥にひとり身一つで放り込まれた私は「何もできない」のです。
火の起こし方がわからない
かまどでもち米を炊くことができない
川で魚を捕まえられない
どれが雑草でどれが薬草かわからない
豚や鶏を捕まえられないし捌けない
ココナツを斧で割れない
などなど…
村の人たちは、私がお金で買っていた技術や知識を自分の「力」として持っていました。
自分はお金やモノが無かったら何もできない、生きていけないのか…。
それに気がついた時、自分もこのタイの村の人達のように「生きるための力」をつけたいと強く思ったのです。
写真は村の看板前での一枚と私がお世話になったおばさんの家です。
昔ながらの木造の高床式のお家でした。
牛、豚、鶏、アヒル、犬、猫、そしてうさぎもいたんですよ。
懐かしいなぁ。
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